天狗岳の麓の森から

 
 大学を卒業後7年間の会社勤めを経験し、30歳になった時、思うところあって司法試験の受験生となりました。それからの9年間、つい、はめを外して妻と旅行三昧の前半、さすがにまずいと思って必死になった後半と、楽しい思い出、つらい苦労話は尽きませんが、本稿の趣旨からここでは省きます。悲喜こもごもの受験生活を経て40歳を目前にしてようやく合格し(52期)、2年間の修習を経て平成12年に弁護士登録をしました。東京出身で40年間三鷹市から離れたことのない私は東京弁護士会に所属し、都心でイソ弁生活を始めました。
 東京では4年間、ベテランの先生にお世話になり実務をしっかりと教えていただきました。この経験は非常に貴重なものでした。ただ、次第に東京の弁護士活動に少しずつ違和感を持つようにもなり、自分がしたいこと、目指したことは違うのではないかとも考えるようになりました。
 
 私は森や山が好きです。本格的な登山ではありませんが、夏には東京近郊の低山や東北の山々に登ったりしました。蓼科、軽井沢、菅平など信州にもドライブや家族(夫婦旅行でたびたび訪れており、豊かな自然環境、里の景色、地元の人々の雰囲気がとても気に入っています。そして、3年前、ふとしたきっかけで奥蓼科に週末の小屋を建てました。それからというもの、どんなに仕事が忙しくてもやり繰りして週末を蓼科で過ごすようになり、そのうち週に日の森の生活が自分にとってかけがえのないものになりました。四季折々の森や動物たちの様子、八ヶ岳や蓼科山の姿、奥蓼科からのぞむ諏訪の町の夜景、そして、春は山菜採り、夏は釣り、秋の山歩きとキノコ採り、冬は雪かきした後に薪ストーブの前でくつろぐ、こんな生活を終えて日曜の夕方に東京に戻るのが本当につらく思ったものです。
 あるとき、ふと考えました。自分の仕事の場は東京でなければならないわけではない、幸い妻と二人暮らしで身軽である、妻の仕事もパソコンさえあれば続けられそうだ、それならば生活の本拠地を茅野に移せるのではないか。
 また、蓼科では、東京から移住してレストランを経営している人、神戸から来てパン屋さんを営んでいる人、脱サラして農業を始めた人、いろいろな人と出会い、話を聞くチャンスがあり、その人たちの生き方に刺激され勇気づけられて、こちらでの生活がだんだんと具体的なイメージとなっていきました。
 そして、仕上げは、研修所を出てすぐに諏訪市で開業した同期の弁護士(東京修習の仲間)が、仕事(の量)は大丈夫、大丈夫、と背中をぽんと押してくれて、ついに決心がつき、昨年5月に登録換え、茅野市で独立開業ということになったのです。

 
 長野県弁護士会は、長野地裁の本庁および支部にほぼ対応する各在住会で構成されており、私が所属する諏訪在住会は、諏訪湖のアウトレットである天竜川の水門から、諏訪湖を周って時計回りに岡谷市、下諏訪町、諏訪市、その南東に広がる茅野市、原村、富士見町というつの市町村(人口約20万人)をカバーする長野地裁諏訪支部(諏訪市所在)の管轄内に事務所を置く弁護士で構成されています。この6市町村は合併の話が持ち上がるほどひとまとまり感のある地域で、「諏訪人」という呼び名でその住人の気質が表されています。
 諏訪在住会の法律事務所は、岡谷市と諏訪市に集中しており、岡谷市には、人の弁護士を擁する事務所と、その他に1人の弁護士が開業なさっており、あとは私を除いた11人の弁護士が諏訪市に事務所を構えていらっしゃいます。裁判所は簡裁が岡谷市にあるだけで、家裁、簡裁が諏訪市にあり、その点で上諏訪駅周辺は法律事務所を置くにあたって弁護士にとっては一番便利なところです。
 私は、当初、諏訪市に事務所を借りることも考えましたが、同期のくだんの弁護士の勧めもあり(同氏は、開業するに際し、諏訪市か茅野市かで迷ったということですが、諏訪市を選んでいます)、結局、弁護士が一人もいない茅野市で開業し、自宅から車で25分ほどの(といっても信号がないため20キロ近く距離はあります)茅野駅前に、市内でたった一つの法律事務所をオープンしました(ちなみに茅野駅は、新宿から特急「スーパーあずさ」で約2時間、控訴事件があると一日仕事となり、そのときは霞ヶ関の弁護士会館の図書館で調べものをしています。)。
 諏訪在住会には、私を含めて17人の弁護士がいます。開業当初、挨拶を兼ねて事務所を訪問させていただきました。どの先生も超多忙なスケジュールの中、貴重な時間を割いて、仕事のこと、ご自身の趣味や生活のことまでいろいろな話をして下さったのですが、それぞれ非常に魅力的な方ばかりで、そこで伺った話はどれも興味深い楽しいものでした。そして、あたたかく歓迎して下さっているのがよくわかり、私は登録換をしてスタートラインに立ったばかりでしたが、このとき、諏訪在住会の中で仕事をしていくことが楽しみになり、こちらに移ってきたことをとても嬉しく感じたものです。
 
 さて、その事務所訪問でも仕事は十分あるよと口々に言われはしたのですが、それにしても、縁もゆかりもないこの土地で、事件などは少ないであろうし、初めの1年くらいは電話の前でのんびり相談者待ちの状態になるのだろうと、なんとなく思っておりました。朝はゆっくり散歩をし、CDを聴きながら優雅に朝食、事務所に着いたら窓から八ヶ岳を眺めて電話を待ち、夕方は早めに閉めて市営の温泉(縄文の湯という温泉で400円で入れます)に浸かって帰ろう、そして、休日は北信地方や松本、軽井沢、その他いろいろな所に行ってみよう、薪小屋も作ろう、小さな畑も耕してみようなどと、今思うと恐ろしく暢気なことを考えていたのです。
 これは、とんでもない勘違いでした。
 在住会の先生方、茅野市役所の窓口の方、それまでに知り合った地元の方々のご紹介もあり、事務所にまだFAXや什器も揃わないうちから、例の弁護士日誌はみるみる埋まっていきました。それまで上諏訪や岡谷の法律事務所まで足をのばさなくてはならなかった地元の方の法律相談、債務整理などの案件が待ってましたとばかりに入ってきたのです。 それに加えて、高等職業訓練校の資格取得コースでの民法講義優先的に回ってくる茅野市の当番弁護(約半年で10件)、国選事件(常時2件程度)などなど、開業後2週間ほどでパニックに近い状況となりました。その他、弁護士会、自治体や福祉協議会が主催する法律相談の担当もありました(8回程度、年度途中の登録換で、すでに担当者が決まっていたため、すべてピンチヒッターとしての打席です)。
 もちろん、事務所から八ヶ岳の雄姿などちらとも拝むひまはありませんでしたが、朝から夜遅くまで、とにかく必死に日々の仕事をこなしていくうちに、誤算とはいえ、これはとてもありがたく、やりがいのあることだという思いが沸々と湧いてきました。そして、ここでまた、この登録換が間違っていなかったことをはっきりと認識したのです。
 
 こちらに来て8か月あまり過ぎました。今、主に茅野、原、富士見の方々が毎日のように相談にみえます。相談の内容は、やはりクレサラ事件が多く、他には、土地の境界の揉め事、相続の問題、知人同士でのお金の貸し借りのトラブルなどがあります。日弁連新聞月号の安芸ひまわり基金法律事務所の先生の手記に「赤線(里道)」「青線(水路)」の話がありましたが、こちらも同様に、東京では耳にしないような土地の言葉や慣習、特徴的な問題があり、思わず共感して肯いてしまいました。「町医者的弁護士」とその先生も書いていらっしゃいましたが、地元の相談者一人ひとりと向き合って話を伺い、自分にできる限りのリーガルサービスを提供する、そして、おかげでよく眠れるようになったとお礼を言われると、自分のしたかった仕事がここにあるという実感が湧いてきます。こちらに開業するにあたり、地元の人たちが気軽に相談に入ってこられる場を作り、問題が手遅れにならない初期のうちに解決できるようになればいいと考えていましたが、少しずつ、その手応えを感じています。たとえ、成功報酬が、心をこめて作られたたっぷりの夏野菜や手作りのお漬物になったとしても(冗談でなく)、それはそれでとても嬉しいものです(経営的にはつらいところ)。
 在住会の諸先輩の温かいご指導のおかげもあり、また、長野県弁護士会や在住会主催の研修会もあって、法律事務未経験の事務員(妻)と二人で事務所もなんとかやっていけます。そして、毎日しっかり働いたあと、仕事を終えて森に帰り満天の星を見上げてまた満足します。
 今、蓼科は美しい雪景色で寒い日が続いています。夜、ストーブに薪をくべながら一日を振り返って、私の登録換は、失敗の少なくない私の人生で最大の成功だったと思っています。
 畑作はボツになり、薪小屋は未完成のままだけれども。