カブトムシ顛末記(抄)

2010-10-01

河嶋恒平


 
  今から8年くらい前、私たち夫婦が東京に住んでいた頃、私たちは恒例となっていた夏の親戚旅行で山中湖のキャンプに一泊で行き、翌日の朝、私は一匹のメスのカブトムシを見つけ、家に持ち帰りたくなって、急ごしらえの紙箱に入れて帰ることにした。途中で立ち寄った施設でカブトムシが売られていたので、ついでにオスもいた方がいいかなと思い、オス一匹とムシかごを買って、おが屑が入ったそのムシかごに入れ替えて持ち帰った。
  いつでもオスはメスのオマケの扱いだ。
  東京の3DKの共同住宅に帰ると、それまで全くエサを与えていなかったので心配になり、近くのスーパーで、あとで考えるとこれがマズかったのだが、おいしそうな白桃を買ってきて、切って2匹に与えた。あとで考えるとマズかったというのは、後日買って読んだカブトムシの飼育書には、カブトムシに与えてはいけない食物としてスイカと並んで桃が挙げられていた。水分の多い果物を食べると栄養にはなるが、ひどい下痢を起こして死んでしまうと書いてある。専用のエサか果物ならバナナを与えなければならなかった。
  というわけで、そのメスとオスは、相次いでひどい下痢になって死んでしまった。そのときはオシッコと思っていたが、実は下痢だったらしい。
  カブトムシたちは、慎重に裏の植え込みに埋めてやった。
  半月ほどして、カブトムシたちがいたムシかごを見ると、おが屑の中に小さな白い点がいくつかあるのを発見した。最初は特に気にとめていなかったが、数日たつと大きくなっているような気がして、気になってくだんの飼育書を買って読むと、上述のように死因が判明するとともに、白い点がカブトムシの卵に似ていること、野生のカブトムシを捕まえると大抵は交尾が済んで妊娠している状態であること等が分かった。さらに数日経過すると、白い点がさらに大きくなって、飼育書の写真と同じになった。飼育書によると、卵をかえしてりっぱなカブトムシに育てよう!とある。
  彼らの憤死の責任を感じていた私は、贖罪にりっぱなカブトムシを育てることにした。
  結局、その時点ではっきりとそれと分かるようになっていた卵が6個見つかり、飼育書のとおりにプラスチックの水槽を1個とおが屑を買って、卵を水槽の四隅に分散させて入れ、水槽を寝室の隅に置き、ときどき霧吹きで水をかけてやっていた。卵はどんどん大きくなり、やがて米粒大へと成長し、幼虫が誕生した。幼虫たちは、おが屑をサクサクと食べてさらに大きくなり、翌年の夏前には全員がおとなのオスやメスのカブトムシになった。ただし、水槽が小さかったのとおが屑が少なかったせいだろう、それほど大きな身体にはならなかったが。3つに増やした水槽のなかで、カブトムシたちは、夏の間、買ってきたゼリー状のエサを食べ、エサの容器の中に頭を突っ込んで寝て、夜の間は私たちが寝れないほどうるさくバサバサバサと飛び回って元気にしていた。そして、秋が来ると、順次、あの世に旅立っていった。
  これで贖罪は終わったと思った。
  ところが、そのあと、しばらく経って水槽のおが屑を試しにひっくり返して調べると、白い卵が合計40個ほど見つかった。仕方なく、ホームセンターで10個の大きめの水槽と大量のおが屑を買って、水槽1個の四隅にひとつづつの卵を配置し、ときどき霧吹きで水をやっていたら、秋になって、またまた40匹全員が幼虫となって現れた。
  そして、その状態になって、はっと気が付いて想像してみた。
  彼らが、全員おとなのオスやメスのカブトムシになって、夏の熱帯夜に、3DKの家の狭い寝室の3分の1程を占める10個の水槽の中で、一晩中バサバサバサと飛び回っているのを。といってカブトムシの販売所を開業するわけにはゆかない。
  そこで、あわてていろいろ手配し、水槽が1個とその中の4匹の幼虫だけを残して、甥や姪やその友達に、それぞれ水槽ごと幼虫を飼育書のコピーをつけて譲り受けてもらった。
  水槽の中の彼らは、翌年の夏前には大きなカブトムシになり、ただし、卵が生まれないようにオスとメスを別の水槽に入れたが、夏の夜には陽気で賑やかにバサバサバサとやって、結局秋には、順次、ほとんどがこの世のものではなくなった。
  ただ1匹のメスは、その秋も冬もやりすごして生き残り、私たちになついた。つけてやった名前を呼ぶと、顔をあげて、人間の方に歩いてきて、目を合わせてくれていたのだが、やがて春になって、あの世に旅立っていった。足かけ4年の彼らとのつきあいだった。
  その後しばらくは、皆に引き取ってもらった総勢36匹の連中が、夏の夜に、いろいろな部屋の中で、それぞれバサバサバサとやっている様を思い浮かべてはにんまりとし、私は、もうカブトムシを育てるのは止めようと思っていた。