武道館の一夜(天狗岳の麓の森からパートU)

 
河嶋恒平


 平成23年12月7日、日本武道館に行った。
 午後6時前、都営新宿線を九段下で降り地上に出た。開演よりだいぶ早い。運動不足の54歳にしてはきつい九段坂をどうにか登り、しかるべき場所で左に曲がると大きな黒い門がある。くぐって入ると、日本武道館の前に出て、これから始まるエリック・クラプトンとスティーブ・ウィンウッドのコンサートを待ってたむろしている、ささやかな、おとなしい集団に加わることができた。

 46年間住んだ東京都三鷹市から長野県茅野市にある天狗岳の麓の森に移り、長野県で弁護士業務をするようになってから概ね8年が過ぎた(その顛末は平成16年「ひまわり8号」の「天狗岳の麓の森から」に書きました)。そのご褒美なのか、妻が、このコンサートチケットを私の誕生日のプレゼントにくれたのだ。私はずっとクラプトンのファンである。
 そしてこの日、ポール・マッカートニーが“ビーナス・アンド・マース”で歌うように、スポーツアリーナのシートに座ってショウが始まるのを待ち、赤いライト、緑のライトが輝いて、ストロベリーワインを飲み、まわりに友人はいないが、はるか頭上に火星と金星が昇ってまたたいている、となったのである。

 シートは、2階南S席41番だった。武道館でコンサートを催すときは、1階席の下の、嘉納杯の柔道大会では畳が敷き詰められている床がパイプ椅子のアリーナ席にしつらえてあるので、実質的には2階席が最上階である3階ということになり、その41番はほとんど会場全体の最後列である。とはいえ、この位置でコンサートを見るのが一番好きだ。会場にまだろくに人が入っていない時間から、ここに座って会場全体を眺め、だんだんと集まる人が、どんな人で、どんな格好で、誰と来て、どんな会話をして、お目当てのロックスターが出てくる瞬間を待っているかと観察するのだ。
 そんなことを思いながら、ビール(最近会場内で買うことができるようになったらしい)を飲んで見回していると、すぐに、観客の平均年齢が明らかに60歳前後であることが判明した。ワオ。ロックコンサート経験上の最年長記録だ。ロックスターのコンサートとしては、やや心配だが、クラプトンの活躍期にファンになった年齢層を考えれば、それほど不自然ではない。多くの男が勤め帰りらしいスーツ姿で頭髪が寂しくなっているが、なかにはテンガロンハットにジーンズを履きこなした、70歳をはるかに越えているに違いない男と、同伴の女性もこれまた70歳をはるかに越えた、かつてのヒッピー風の格好したカップルもいる。

 前回クラプトンのコンサートに来たのはいつだったろう。確か、司法試験を受けようとして30歳で会社を辞め、思惑が外れてなかなか合格できず、けっこう重い時期に横浜アリーナでのコンサートに行ったのだ。よくそんなときにコンサートに行ったものだ。あれから20年ほど過ぎたことになる。

 通路では警備員が観客の方を向き、勝手な行動をしないように威嚇している。アリーナにいる警備員だけで70人もいる。そういえば、大学生の頃、コンサート警備員のバイトをしたっけ。コンサートの最中に観客のほうを向いてステージの前に座り、興奮した観客が席を立ってステージに殺到しないよう威嚇する仕事だ。もっとも、実際に観客が殺到してきたら、なすすべもなく、人垣の一部になるだけの仕事だ。仙台での矢沢永吉さんのコンサートでは、ステージの袖でレーザービーム発生装置のコントローラーを見守るバイトもした。ステージ真最中の汗だらけの永ちゃんが歌いながらステージの袖まで歩いて来て、ノリノリのあの声で「調子どうよ!」なんてマイクを通して声をかけてきたな。そのとき、「えー、まあまあです」なんて、マヌケな返事をしたことが30年以上経った今でも悔やまれる。あの頃は、今だけが大切だったのだ。

 などと考えていたら、音響係が暗いステージに上がり、クラプトン用に立てかけてあるフェンダーのギターをチェックするためにバランと音を出し、それをよろこんだ意気軒昂になっている客がパラパラと拍手して、しばらくすると客席の照明が消え、お待ちかねのショウが始まった。

 スタートは、かつて2人が一緒にグループを組んだブラインドフェイスの曲だ。66歳にして見事完璧な演奏。武道館でありながらギターの音がきれいで各弦の音のバランスが見事だ。ピッキングタッチとカッティング奏法の心地よさが伝わってくる。この音、リズムは20年ぶりに聞くのであって、他の誰もこの音を出せない。
 プログラムは調子よく進む。「わが心のジョージア」をスティーブウィンウッドが歌い、そのあと、2人でマディーウオーターズをやって、クラプトンの「ワンダフルナイト」となった。これは、パーティーが終わって車で家に帰るときに、妻に向かって、きみは最高だったよ、と歌う曲で、麻薬や酒や浮気に溺れ、幼い息子を事故で亡くすなど、波乱万丈だった彼が歌うと実にリアルだ。観客もそこのところは良くわかっていて、曲を楽しみ、そのあと、ジミヘンドリクスの曲をやって、アンコール曲は、コケインだ。こいつは、コカイン中毒から立ち直ったクラプトンがコカインの虚しさを歌った曲で、確か、最後のリフレインのところで、コケイン、コケインとクラプトンが歌い、最後の1回を観客一同が「コケイン」と大合唱して終わるんだったな。観客の年齢からすると、その約束はよくわかっているに違いない。

 最初にクラプトンのコンサートに行ったのは高校3年の受験間近のときで、授業が終わって、急いで最寄りの武蔵境駅に歩き、三鷹駅で東西線に乗って九段坂で降り、恐ろしげなダフ屋をかいくぐって、ようやく武道館にたどり着いたのだった。そのときのアンコールでは、本物の「レイラ」を聞いて興奮したが、このあと、自分がどういう仕事をして、どういう人生を過ごすのか、どういう人生を過ごしたいのか、など考えていなかった。ただただ、12歳年上のロックスターのエネルギーに酔っていた。あれから、36年が過ぎたことになる。長いような短いような。

 今、コケインを歌っているクラプトンはあのときのままのようで、そして、ふむふむ、なにやら、よく聞けばこう言っているようだ。
 「俺は66歳で、こうやって、できることを精いっぱいやっているのさ。あんたにできるかい?」と。
 うむむ、よく言った。ようし、やってやろうじゃないか。

 というわけで、私はマーチンのギターを買うことにし、自分にできることを精いっぱいやるために長野での忙しい暮らしに戻り、そして、ありがとうと、54歳の誕生日のプレゼントに感謝したのだった。